祈りの日に
2008 / 08 / 06 ( Wed ) 少しだけまじめに考えてみる。
日本人にも 63年前に広島で起こったことを現実に見た人は少なくなった。 今となってはもう歴史の1ページ、あるいは良く出来た物語のよう? 先日近所のスーパーで耳にした中学生の会話を思い出す。 「この辺りってさぁ、なんか池あったよね?」 「あぁ、ニテコ池?」 「なんかどっかで聞いたことある気がするんだけど」 「多分さぁ、アニメの『火垂るの墓』の舞台って設定じゃなかったっけ?」 「あーそうなんだぁ、超泣けるよねぇ、あの映画。でもアニメのくせにグロいよね」 この中学生たちは、自分が住んでいる地域で何が一体あったのかも、 「火垂るの墓」が作者の体験に基づいた実話であるということも、 グロさを見せる事がまさに、あの映画の目的のひとつだということも 多分、知らない。 愚かな過ちを繰り返さないために、 生きていることがどれほどありがたいことかを理解するために もっとも必要なのは「知ること」だ。 アメリカでは原爆は「戦争を終わらせるために必要だった」と 一定の評価を受けている。 でも彼らの歴史の教科書に載っているのは、 大空一面に広がる雲と、そのさらに上の青空に突き出たきのこ雲。 このきれいな雲の下がどうなっていたか、彼らに教える者はいない。 アメリカ人に原爆を正当化する人が多いのは「知らない」から。 知った人は大抵、正しかったなんて大嘘だということに気づく。 まずは知ることから。 63年前の今日のこと。 核兵器を作ってしまった科学者たちのその後の苦悩。 日本が戦争中に行ったいろいろなこと。 世界中に、平和を命がけで訴えた人たちがいたこと。 そして今、私たちは、平和を享受しているのだ、ということ。 知って、そして、考えて。 未来に受け継いでいかなければ、ね。 |
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